ディストピア倫理学:

自己の境界
不確定にする
未来テクノロジー
向けて

Dystopia Ethics:

Toward Future Technologies
With Uncertain Self-boundaries

人間の身体や精神に介入し、それらを改変する未来のテクノロジーは、
自己と非自己の境界をどのように変えていくでしょうか。
あるいは、そうした境界がテクノロジーで変えられてしまうようなものであれば、
そもそも「自己の本質」などあったのでしょうか。
本研究領域は、こうした哲学的な問題意識から出発する研究プロジェクトです。
そして、未来のテクノロジーが人間の生き方や社会生活について
どのようなインパクトを持つかを考えるという、
倫理学的な分析を進めるプロジェクトでもあります。

そのために本研究領域では、近づきつつある未来のテクノロジーが自己の変容を
どのように巻き込みうるのか、あえてその破滅的な「ポテンシャル」を探るという、
予見的な分析をしてみようと思います。
そうすることで、私たちにとって大事な生き方がどのようなものだったのかを
明らかにすることができるでしょうし、
それはつまり、私たちの無自覚な価値観を探る試みでもあります。

本研究領域は、4つの研究班から構成されています。
上記のようなアイデアをベースとして、それぞれの班が、異なる角度から、
あるいは異なるテクノロジーをとりあげて、分析を進めます。
そのなかには、未来のテクノロジーに対して悲観的な視点もあれば、
楽観的な視点もあるでしょう。
そうした様々な視点を持ち寄りながら、テクノロジーを通じてもっと自由に、
もっと多様に、もっと自分らしくなれるような、
「テクノロジーを生きる人間」観を追求したいと思います。

計画研究A01

思考融合のテクノロジーと 「主体溶融」の倫理学(太田班)

ヒト脳を機械と接続する技術や、それを基礎としたヒト脳どうしの直接的通信に焦点を合わせて、これら開発途上にあるテクノロジーが浸透した状況における自己存在の変容とその社会的側面に関する倫理学的検討を行う。それに向けて、自己と非自己の思考の区別が不明瞭化する事態を「主体溶融」として概念化し、それが精神現象としてどのように顕現しうるかを検討するとともに、主体溶融に伴う社会的相互作用や社会構造への影響を予見的に分析する。

研究代表者
太田紘史 Koji Ota

筑波大学 人文社会系 准教授 専門は心の哲学、倫理学。編著書に『シリーズ新・心の哲学』(全3巻、勁草書房、2014年)など。

計画研究A02

ヒト培養技術を用いた「個人複製」 の倫理学(澤井班)

胚モデル研究や中絶胎児組織研究といったヒト発生研究に伴う倫理的・法的・社会的課題を体系的に扱い、それらを関連分野の専門家や非専門家と論じることによって、ヒト発生研究における倫理基盤の構築を目指す。昨今、分野の専門家・高度化に伴い、科学と社会の分断や乖離が進むなかで、我々がヒト発生研究をどのように発展させたいか、また我々はどのような社会に生きたいかという未来像も考慮しながら、ヒト発生研究の倫理的・法的・社会的課題を共に論じる。

研究代表者
澤井努 Tsutomu Sawai

広島大学 大学院人間社会科学研究科 特定教授 専門は倫理学、応用倫理学。著書に『命をどこまで操作してよいか――応用倫理学講義』(慶應義塾大学出版会、2021年)など。

計画研究A03

アップローディングの現場から追求 する「自己転送」の意味(渡辺班)

研究代表者の渡辺が提案してきた「アップローディング」の手法においては、機械脳半球と生体脳半球の意識の統合、さらには、生体側から機械側へと記憶を転送することで、左右の生体脳半球間の関係性を機械脳半球と生体脳半球の間で築く。その後、両半球にまたがっていた一つの意識は、片半球のみの一つの意識へと移行することとなる。本研究においては、代表者の唱えるアップローディングのプロセスとそれがもたらすアップロードされた状態を高い精度で踏まえたうえで、その実現が社会にもたらす倫理的なインパクトを意識ないし自己の同一性や連続性の観点から紐解いていく。

研究代表者
渡辺正峰 Masataka Watanabe

東京大学 大学院工学系研究科 准教授 専門は神経科学。著書に『脳の意識 機械の意識:脳神経科学の挑戦』(中央公論新社、2017年)など。

計画研究A04

ディストピアを克服するポスト近代 的自己観の構築(出口班)

本研究は、「テクノロジー受容かディストピアか」というジレンマを回避しうるポスト近代的自己観を構築する。具体的には、自己=自律的・自足的個人と考える近代的自己観、さらにはその自己観に基づく技術の倫理基準を一旦、非自明視し、新たな集合的自己観(Self-as-We)、ひいてはそれに基づく新たな自由観や技術倫理の構築を志向する。さらに、思考・意識・行為の受動者(ペーシェント)としての「わたし」という個人観(I-as-me)の主張可能性を探索する。これら2つの視座を交叉させ、検討対象であるエマージングテクノロジーの「自己境界侵襲性」の内実を再検討することで、ジレンマ脱出の概念的道筋をつける。

研究代表者
出口康夫 Yasuo Deguchi

京都大学大学院文学研究科・教授、文学研究科研究科長、人と社会の未来研究院副研究院長、京都哲学研究所共同代表理事。 専門は哲学、特に分析アジア哲学、数理哲学。現在「WEターン」という新たな価値のシステムを提唱している。近著に『AI親友論』(徳間書店、2023年)、What Can't Be Said: Paradox and Contradiction in East Asian Thought (Oxford UP, 2021), Moon Points Back (Oxford UP, 2015) など。